親鸞会 成功へのヒント

井深 大

モノ作りから幼児教育へ−−
「世界のソニー」を育て上げ、「心の教育」に情熱を注いだ井深大氏のモットーは「人を喜ばせること」であった。

 

米国での高校生による自動小銃乱射事件、日本国内での刃物を持った少年の殺傷事件など、青少年の犯罪が教育界を混乱に陥れている。

1997年に、89年の生涯を閉じたソニーの元名誉会長、井深大(いぶか まさる)氏は、『幼稚園では遅すぎる』『井深大の心の教育』『子供は育て方しだい』『0歳からの母親作戦』などの著書を残し、幼児期からの教育の大切さを訴えている。

50年来の盟友、盛田昭夫氏(現名誉会長)をして「垣根の向こうが見えてしまう人」と言わしめた井深大は、死の直前まで壮大な夢を追い続けていた。来るべき21世紀のテーマを「人間」に置き、全く新しい価値観を創造しようとしていたのだ。

氏の半生は、人に喜びを与え、豊かにするものの製作に費やされてきた。

テープレコーダー、トランジスタラジオなど、多くの独創的な製品を作って、世に送り出し、屈指の営業マン、盛田昭夫氏とともに、世界のソニーを育て上げたのである。

だが、気がつけば、モノばかりがあふれかえり、心はどこかに置き去りにされていた。

また障害者の親として、人一倍の苦労をしていた井深大の目は、次第に教育界へと向いていった。

どんな子供でも、満足な教育を受けられるにはどうすればよいかと悩んだ彼は、障害者・幼児教育の世界で、さまざまな動きを見せるようになった。



井深大は数多くの
教育書を著した

昭和34年(1959)、ソニーで、全国の小学校(現在は小・中学校)を対象に「ソニー理科教育振興資金制度」(現・ソニー教育資金)を設ける。

従業員家族には、小学校へ入学する子供にランドセルを贈ることを決定した。

戦後10数年がたち、日本の復興も進んできたとはいえ、庶民の生活はそれほど楽とはいえず、小学校へ上がる子供に余裕を持って新しいランドセルを買ってやれる家は少なかった。ソニーに勤める社員とて状況は変わらなかった。

そこで少しでも社員の負担を軽くし、子供たちの門出を祝おうとの発案で設けられた制度である。

教育界への進出はますます目立ち、昭和44年(1969)には、母と子の教育についての調査・研究を目的とした幼児開発協会を設立し、自ら理事長の任に就いた。

昭和46年(1971)には、『幼稚園では遅すぎる』を発刊。英語、フランス語、ドイツ語、中国語などに翻訳されるベストセラーとなり、教育者としても名声を得るようになったのである。

技術者、経営者、教育者の顔を持つ井深大が、なぜ、さまざまな面で成功を収めることができたのか。

それは「人を喜ばせ、豊かにするものを創造する」という一貫した姿勢にあった。

仏教では、布施(親切)の行が大切な善行として勧められている。他人にお金や財産を与えるなどして、喜びを分かち合えば、それがそのまま何倍もの善果となって返ってくるのである。

この精神で、1日に1人でもいいから、何か喜びを与えるように努力していくと、必ずや、その人の徳となって一隅を照らす人となる。

氏は、幼児教育の充足にアドバイスを与えてきたが、目的は「心の教育」であった。

彼の『0歳からの母親作戦』には、次のように記されている。

「基本的な生活習慣とか、生きていく上でのルールこそ、幼児に与えるパターンとして尊重していただきたい」

「自分だけ偉くなればいいという考え方でなく、他人のことも考えられる人間に育ってこそ、その子がほんとうに豊かで充実した人生が送れる」

「子供たちよ、正しく生きてくれ、真の幸福者になってもらいたい」という思い一つで生きてきた、井深大の半生がしのばれる。

 

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